「葉隠入門」を読んで:男は死んでも桜色
『武士道といふは死ぬ事と見付けたり』という言葉を誤解していた。
高1の頃、純文学にかぶれて(今もかぶれているが……)三島由紀夫を読んでみようと思った事はあったが、どうにも読み進められなかった。「仮面の告白」は2回ほど挫折した覚えがある。
だがこの本は違った。
ページを繰る手は止まらず、唸らされる事も多々あった。
誤解されがちだがこの本が説いていることは「生きる事」であって、決して「死ぬ事」ではない。もう少し踏み込むと「死ぬという事を考えながら生きる」という事を勧めている。
『われわれは今日死ぬと思って仕事をするときに、その仕事が急に生き生きとした光を放ち出すのを認めざるを得ない』火事場の馬鹿力というものだろうか。いや、一瞬一瞬を生きる情熱の事だろう
死を考えるからこそ、視線が未来ではなく現在に向く。とても大きな、それでいて手の届かない未来予想図に沿って毎日コツコツ何かをするより、今日1日を考え、今日1日で新しい何かを作り、それが何年何ヶ月も経って組み合わさり、大きなモザイク画のようになる。そんな努力こそ健全なのだ。そしてそんな努力こそ、生をみずみずしく、血の通ったものにしてくれるだろう。
今年は受験生。明日ではなく、今日から勉強を頑張ろう。