『東と西の語る日本の歴史』を読んで:底抜けそこのけおうまは通る
宮台真司曰く、ポストモダンとは、社会を構成する人が皆、その社会が今ある形を取っている必然性は無いということに気付いてしまった時代である。それは国家もまた同様で、日本という国が今ある形を取っている理由も、そうなっているから、ということに他ならない。そんな、日本という国がそして日本人が一つであるという幻想に疑問を呈するのが本書だ。
- 作者: 網野善彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1998/09/10
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (36件) を見る
この本には東日本(主に関東)と西日本(近畿中国四国)の差異が述べられている。僕は近代以前の日本史の知識は中学入試レベルで止まっていたが、源平合戦の九州や東北北陸とも繋がるダイナミズム、西舟東馬といった特徴、瀬戸内海の果たした役割などは、読んでてとても面白かった。それ以外にも、言語・風俗の違いは勿論のこと、気候の違いによる作物の違いなど、色々なものが日本の中では異なっていることが分かる。そしてそれらの東日本と西日本の違い(琉球やアイヌはいうまでも無い)は、読者に日本とは何かを考えさせる。
日本という国は何により成り立っているのだろうか。日本国憲法か。天皇陛下か。ポツダム宣言の8条に規定される領土か。日本語か。日本人の惰性か。
案外、最後の候補が1番有力かもしれない。やっぱりこの社会は底が抜けていた。明日のご飯が美味しければ、社会の底が抜けていてもいいのだ。でも明日は、日本国憲法により日本が成り立っているという記事を書く。