合理的に好き
「生理的に嫌い」というフレーズは使い古されてるだけあってやはり便利なもので、「嫌い」というネガティヴな感情に理由付けをしなくて済む。この生理的に嫌われる要素を挙げてみると、例えば顔とか清潔感とかオーラとかだったりするわけで、それは天が与えたものであって、自分で勝ち取るものでは無いような気もする(清潔感は別か)。
この「生理的」、要するに「合理的」では無いという意味であり、ならば合理的に好きになる人間も存在することになる。
小学生の時にモテるのは運動ができる人間だった。中学、高校と上るにつれ、顔とか背格好とかが重要なファクターになる。このまま大人になるにつれどうなるかは知らないが、やっぱり"中身"が重要になるのではないか(と思いたい)。
人を外見で判断するのが「生理的に」であり、中身で判断するのが「合理的に」と定義できる。そして年をとるほど、合理的に判断される機会が増える。もちろん生理的に好かれることを悪いことだと言うつもりは無いし、合理的に好かれない人間を浅いというつもりも無い。
中学生の頃、塾の先生に「30過ぎたらモテると思うよ」と言われた。当時は深みとかが出るタイプと判断されたのかと思ったが、もしかすると先生の言いたかったことは「君は合理的に好かれるタイプ」だったのかもしれない。だけど30過ぎてモテるって人生はなかなか大変そう。
※結構発想元
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