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もともとつらつら思考録

高校3年生が日に思った事とかを書く(主に読書記録)

読書と知識の問題

先日、授業でグループ討論をした時、自分が「〜〜みたいな事をこの前本で読んでですね」と言ったら「本かよ」「自分の意見じゃないんかい」と言われた。自分の発言も今思えばおかしいが、向こう方の発言でふと考えが浮かんだので晒してみる。

読書(別にネットサーフィンでも授業でも良い)によって得られた知識と僕の考えの境界とは何だろうか。

【読んでいない本について堂々と語る方法】という本がある。

読んでいない本について堂々と語る方法

読んでいない本について堂々と語る方法

【我々は単に「内なる図書館」を内部に宿しているだけではない。我々自身がそこに蓄積された書物の総体なのである(p.96)】

読書というのが自分の内なる知識体系の形成過程だということになる。

読書という行為の知識を得るという部分に着目すると、読んだ本の内容というのは自分の脳内に絶えず吸収されることになる。だが現実にはそうはいかない。メモをしておかないと、過去に読んだ本の内容なんて忘れてしまうのがざらだ。

もう一度先ほどの本から引用する。【書物というものが、読んだかどうかすら忘れてしまうほど、読み始めた途端に意識から消えていくものであるとしたら、読書の概念自体がいかなる有効性も持たなくなる。どんな本も、それを開くにしろ開かないにしろ、別のどんな本とも等価だということになるからだ(p.75)】

読書という行為をしたところでそれは単に視界が文字列を撫でているだけにすぎない。僕は日本語の本以外にも、例えばアラビア語で書かれた本も読むことができる。だがそこからは何も得られていない。そして例え日本語で書かれた本を読んだとしても、そこに書かれた内容を覚えていなければ"読んだ"という空虚な事実のみが残る。

読書とは過程に過ぎない。ということで、僕は最初に挙げたような発言をする必要は一切無く、向こう方もそんな発言をする意味は無かったのだ。向こうは何も覚えていないだろうけども。