箱男を読んで:本物らしさとレトリック
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/05
- メディア: 文庫
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縦横それぞれ1メートル、高さ1メートル30センチほどの段ボール箱。それを被る箱男をめぐる"ぼく"たちの物語。
読者は、箱男の綴るノートを読むことになる。そこには新聞記事、写真、詩、唐突な挿入話、箱の作り方等々、様々な小話が度々差し込まれている。
それは一見本筋とは関係無いのだが、この本のリアリティを高める。
また箱男になってしまう男の心理や、箱の作り方、箱男ならではの"ぼく"の洞察の仕方。どれも安部公房が実際に箱男になったとしか思えないくらい精巧だ。
本当に箱男が街にいる訳は無いのに、この本の中に詰め込まれたレトリックが「実際に箱男がいるかもしれない、いたら興味深いな」と思わせる。
話の中盤から、贋物の箱男と本物の箱男という概念が現れ、読者の脳内を引っ掻き回す。本物の箱男がノートを書く権利を有するらしいが、本物の箱男は1人ではなく、"ぼく"の言葉が指す人物が作中で明らかに変わる。終いには、
『そして"ぼく"は死んでしまう。死んだぼくの上に、君が這い上がってくる』(新潮文庫p.179〜180)
物語はその後も不自由なく続く。
もっともらしい嘘をつくのが小説家の仕事だというのを聞いたことがある。
設定も、主人公も、レトリックも、全て虚構だが本物らしさ、リアリティ、説得力を持つ。ある意味では究極の小説は箱男かもしれない。