もともとつらつら思考録

浪人生が日に思った事とかを書く(主に読書記録)

第四間氷期を読んで:帰納から導かれる明日

明後日は模試

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前倒し

渾身の俳句(『模試』が青い春の季語)を詠んだところで、感想に移ろう。(思うところがあって内容を変えたら、お題から外れてしまった)

安部公房の本は、新潮文庫から出ている「壁」「R62号の発明・鉛の卵」を1回ずつ、「箱男」を3回読んだことがあり、それぞれが非常に有意義な読書体験だった。

彼の作品は、世間に知られている通り、前衛的で、実験的な作風が多く、そして作品のテーマが面白い。

今回読んだ「第四間氷期」もそうだ。

『現在にとって未来とは何か?

文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か?

万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して事態は急転直下……』新潮文庫、背表紙より

人類にどのような未来が訪れるか?これは昔からよく論じられてきたテーマだ。有名なものでオーウェルの『1984年』、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』などがある(学が無いからディストピア小説しか挙げられてないが許して欲しい)。

この話を通して、安部公房は「未来」に対してどのような解釈を提案したのか。あとがきから抜粋という、無粋なことをさせてもらうと『日常の連続感は、未来を見た瞬間に、死ななければならないのである。(中略)おそらく、残酷な未来、というものがあるのではない。未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。その残酷さの責任は、未来にあるのではなく、むしろ断絶を肯じようとしない現在の側にあるだろう』とある。

僕は大人になるのが怖い。僕くらいの年齢なら思っていても不思議じゃないと思う。かといって自分がこどものままで居続けるのは最高のグロテスクだ。今こうやって、高校に適当に通っている日常はいつか終わりを告げる。このまま生き続けたら、大学にしろ浪人にしろ新しい未来が僕を待っている。どっちに転んでも不安しかない。大学の後だってほぼ見えない。未来の無数の選択肢に引っ張られた、奇怪なポーズのマリオネット達が、高校に大学にうじゃうじゃいる。

じゃあ答えはなんだ?不安を感じてどうすればいいんだ?

この話は何も提示しない。公房曰く、未来の残酷さについて内部の対話を誘発することが出来れば、この話の目的は達されたらしい。

そして彼のこの姿勢が間違っているとは思わない。この本は生き方マニュアルでなければ、高尚な学術書でもないし、話題の自己啓発本でもない、"ただの"小説だからだ。そして、それも文学の在り方・読書の理由だと僕は思う。

手垢のついた処世術や、参考書に載ってる生き方なんて知りたくない。自分の頭でこねくり考え、生きていきたい年頃なのだ。