「おたく」の精神史を読んで:情報時代に愛し合う男と女
最初に断るが、自分は「オタク」でもなんでもない。
涼宮ハルヒもけいおんも見たことはなく、エヴァンゲリオンは新劇場版を見たことがあるくらい。
強いてオタクポイントを挙げるとするなら、「ガンダムシリーズ」をそれなりに見ている位である。
そんな自分でもこの本は十分楽しめた。
8章に書いてあることが面白かったのでそれについてつらつらと書いていく。
1986年に岡田有希子というアイドル歌手が自殺したことについて、その章では書かれている(当然僕が生まれていない時代の話だ)。
その中に、『少女の身体ではなく、自分たちが少女に寄せる欲望を情報化したものが彼女たちの身体とは別の次元に存在している。(中略)おたくたちは、生身の身体とは乖離し画像の中に「好みの女」を勝手に作り出していってしまった』とある。
テレビに映る芸能人とか、アニメのヒロインとか、絵とか漫画とか、町で見かける人以外にも女を見る機会はたくさんある。
それら「虚構」的なものたちは自分の手の届く「現実」にあるものとはかけ離れていて、かつ魅力に溢れている。
その中から「理想の女性像」を作り上げる世代の僕たちは「現実的に」恋愛をできるのだろうか。
話は恋愛だけではない。
色々な成功例が存在し、それを幼い頃から見聞きして、周りにもそんな人間が存在する中で、普通以下の人生に落ち着こうとする人間が「折り合いをつける」ことができるのだろうか。
『80年代における「おたく」や「新人類」たちの共通感覚として芽生えつつあったのは、自分たちの「現実」がどうやら情報の束のようなものとしてあるらしい、という実感だった。』
2016年、現実は完全に情報そのものだ。液晶画面上を見る時間が起きてる時間の半分を超える日もある。現実と虚構とに折り合いをつけるというが、そもそも現実が虚構で構成されている(ような気がする)。
人を愛するってなんだ。魂が震えるのか。こればっかりは経験してみないと分からない。
果たして僕は恋愛を経験できるのだろうか。
その愛し合う相手と「僕の理想」は、そして「相手の理想」と僕はどれほどかけ離れているのだろうか。
未来の僕よ、どうか教えてほしい(一生恋愛出来ないという未来は考えないでおく)。